高嶋弘之(音楽プロデューサー)は高嶋ちさ子の父!ビートルズの仕掛け人のやらせとは!?【アウト×デラックス】

12/7(木)のアウト×デラックス
音楽プロデューサーの高嶋弘之さんが出演されます。

高嶋弘之さんは高嶋音楽事務所代表。俳優の高嶋忠夫さんの弟であり
「ビートルズの日本での仕掛人」として有名な方です。
娘は凶暴なバイオリニストとして有名な高嶋ちさ子さんです。

高嶋政宏さん、高嶋政伸さん兄弟とは親戚関係にある方です。

今日は、御年83歳の高嶋弘之さんのプロフィールを紹介したいと思います。

皆さん一緒に確認しましょう!

<目次>

  1. 高嶋弘之さんのプロフィール
  2. 高嶋弘之さんとビートルズとの関係は!?
  3. 高嶋弘之さんの伝説!数々の「やらせ」とは?
  4. まとめ

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高嶋弘之さんのプロフィール

名前:高嶋弘之

生年月日:1934年生まれ

年齢:83歳

身長:172cm

職業:音楽プロデューサー

兵庫県神戸市生まれの高嶋弘之さん。

早稲田大学文学部卒業後、
1959年に東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝EMI)入社、
洋楽ディレクターとしてキャリアを積まれます。

1964年にはビートルズの初代ディレクターとなり、
日本での知名度アップに貢献します。

1970年には(株)キャニオン・レコード取締役制作部長に就任し
その後、ポリグラム・グループ(現:ユニヴァーサル)の関連会社の社長に就任。
1991年に高嶋音楽事務所を設立し独立されます。

こう見てみると、名だたる音楽関係の会社の重役を歴任され
輝かしい経歴をお持ちなのが分かりますね!

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高嶋弘之さんとビートルズとの関係は!?

音楽業界の重鎮とも呼べる高嶋弘之さんですが
1964年にあの伝説のバンド「ビートルズ」
初代ディレクターとなりました。

ビートルズと言えば50年以上たった今でも
伝説として語り継がれるようなお化けバンド。

彼らのヒットの裏には高嶋弘之さんの頑張りがあったんですねぇ。

ただ、当初はなかなかの苦労もあったようです。

当時の日本に、そもそもイギリスのマーケットが存在せず
周囲からも「ビートルズなんかは絶対に売れない」
かなり強く言われていたそうです。

高嶋弘之さん自身も初めてビートルズのデビュー曲
『Love Me Do』を聞いた時の感想は
「ダメだこりゃ」だったそうです。

しかし次の「Please Please Me」という曲の完成度に衝撃を受け
本気でビートルズを売り出す気持ちになりました。

ところが当時のビートルズは日本では当然全くの無名。
どこの馬の骨とも分からないグループの宣伝に
充分なお金などかけられるはずもありません。

そこで高嶋弘之さんがとった驚きの方法とは・・・?

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高嶋弘之さんの伝説!数々の「やらせ」とは?

ビートルズを日本において販促する際に
「現代であれば確実に問題になるような
数々のやらせや数字の不正操作などを
裏で行なっていた」

と高嶋弘之さん本人が著書やインタビューで
自ら語っていらっしゃいます(笑)

例えば
ラジオのリクエスト番組で曲の順位を上げるために
大学の後輩たちを番組にアルバイトとして送り込み、
集計の数字を操作し、曲の順位を意図的にアップさせたり

当時の勤務先だった東芝の若手社員の
髪型をビートルズのようにして、
「東芝全社員ビートルズ・カット(→※今でいうマッシュルーム・カット) 
という記事を週刊誌の記者に書いてもらい

いかにもビートルズが日本の若者の間で
流行しているような雰囲気を意図的に作り出し…

確かに今の時代なら大問題に発展しそうですが
なかなかの策士っぷりを発揮されます(笑)

しかしそれが功を奏して(?)ビートルズは日本で
一大ムーヴメントを巻き起こすわけですから
高嶋弘之さんの策略、恐るべし…という感じですね。

まとめ

いかがだったでしょうか。

御年83歳ながらまだまだお元気な高嶋弘之さん。

生きる活力は
人をどう楽しませるか、やはり音楽を聴いている人を喜ばせたい。
「生きていて良かった」と思えるような良い曲を人々に提供したい。
というサービス精神だそうです。

いつまでもお元気で、そしてこれからも自らの経験を
後世に伝えていってほしいですね。

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