明日待子(日本初のアイドル)の結婚相手は?若い頃の画像が可愛い!【爆報!THEフライデー】

12/8(金)の【爆報!THEフライデー】
女優の明日待子さんが出演されます。

戦前から戦後にかけて、日本における初の「アイドル」として
認知された方で、昭和初期にはトップアイドルとして大活躍されました。

今日はそんな明日待子さんの素顔に迫ってみます。

みなさん、一緒に見ていきましょう!

<目次>

  1. 明日待子さんのプロフィール
  2. 明日待子さんの若い頃の画像は?
  3. 明日待子さんの結婚相手は?
  4. まとめ

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明日待子さんのプロフィール

出典:https://matome.naver.jp/odai/2148917415165827501

名前:明日待子(あした まちこ)

本名:須貝とし子(すがい としこ)

生年月日:1920年3月1日(97歳)

出生地:岩手県釜石市

職業:女優、舞踊家

御年97歳の明日待子さん。
生まれた時代の年号は、なんと大正(!)

大正→昭和→平成の3つの世代を生き抜いて
来られているんですね。凄いです。

13歳の時に岩手県の釜石市でスカウトされ
本格的に女優の道を進みます。

そしてそのまま上京。

屈託のない笑顔、愛らしいルックスで人気を博し、
若い頃は雑誌のグラビアや、初代カルピスのイメージキャラクター
ライオン、キッコーマンなどのポスターに起用されるなど
一大ブームを巻き起こし、日本の芸能史上初の「アイドル」
として大活躍されます。

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明日待子さんの若い頃の画像は?

出典:https://www.pinterest.com/pin/233202086935451587/

確かに美人ですねぇ(^^♪

戦前(70年ほど前)とは思えないような
なかなか凛々しいお姿ではないでしょうか。

人気があったのも納得ですね。

1938年には、映画『風車』に出演されます。
以降『春爛漫狸祭』『鉄路の薔薇』の3本に出演されています。

そして20歳を迎え、これからの飛躍が期待されていました。

しかし、時代は日本にとって暗黒の1940年代に入ります。
この時期は泥沼の第二次世界大戦→太平洋戦争の時期でした。

アイドルだった明日待子さんにも戦争の影が忍び寄ります。

以前のインタビューで
「戦中は街そのものが暗くなりましたね。
盧溝橋事件(1937年)のあたりから、灰色の世の中になってきました」
と語っていらっしゃいます。

検閲も始まり、表現方法にも規制がかけられ始めます。

1944年頃になると戦況はどんどん悪化し
徐々に東京での活動が困難なものになります。

明日待子さんも、日本のために戦っている軍部の慰問に訪れたり、
祖国の勝利のために奉公したそうですが結局日本は敗戦。

明日待子さんも焼け野原の中で、一からの再出発を余儀なくされました。

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明日待子さんの結婚相手は?

終戦から4年後、明日待子さんはアイドルを引退。

理由は「結婚」です。

北海道の実業家の御曹司と結婚され
以降長らく札幌に居を構えていらっしゃいます。

明日待子さん曰く
「明日待子は東京において、北海道に行ったんですよ」

結婚相手の画像などはネットには上がっていませんでした。
なにせ、60年以上前の話しですから。

ご結婚以降は札幌で舞踊研究家として活動をされていらっしゃいます。

表舞台に立たれることはほとんどありませんでしたが
2011年に60年ぶり(!)に公の場に登場されました。

そして今夜の【爆報!THEフライデー】でも
元気なお姿を見せてくれることでしょう。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。

戦前→戦後の激動の時代を生き抜いてきた明日待子さん。

明日待子さんはインタビューの中でアイドル時代について
こう答えていらっしゃいます。

「やっぱりアイドルをしていて、良かったと思えます。
思い残すことはありません。それを青春時代というんですかね。
なんでもできた、なんでも考えられる、良い時代でした」

アイドルとは、何ですか?
という質問には「いつまでも消えないもの」と答えていらっしゃいます。

これからも生ける伝説のアイドルとして
いつまでもお元気でいてもらいたいものですね。

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